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2007.11.28

繰り返される、容疑者扱いと自戒

 ある殺人事件の取材に携わったときのことを思い出す。
 自宅で殺された被害者を最初に見つけたのは、肉親だった。物証が乏しい事件だったが、「総合的」に判断して顔見知りの可能性が高い、との見方が強まるまで時間はほとんどかからなかった。そして各社が最重要視したのは、第一発見者の肉親だった。
 自宅前での連日の張り込み。肉親ら遺族は取材にまったく応じず、対立が日に日に強まった。それがかえって、報道側が“疑念”を強める結果になった。「まったく取材に応じないのは、聞かれてまずいことがあるからではないか」と。他に有力な手掛かりがないこともあって、取材は肉親の周辺に焦点を絞った。
 しばらくして、警察の捜査線上から肉親が消えた。取材も方針を転換した。肉親をほぼ容疑者扱いしたという事実を残して。

 香川県坂出市での3人不明事件が弾けた。メディアは直前まで、行方が分からなくなった5歳児と3歳児の父親への取材を繰り返し、3人への思いを何度も語らせた。だか取材の目的が悲痛な願いを伝えるためではなく、アリバイの有無など犯行への関与を探るためだったことは、明らかだった。「お子さんたちに伝えたいことはありますか」と優しくうながすことが自分たちの仕事や使命でなく、情報を取ることが最大かつ唯一の仕事であり使命であると、記者なら知っているからだ。だが今回、メディア側の見当は事実とは異なった。「一部の心ない声」と表現した放送局もあったが、この局も含め「心ない」では済まされないことを、メディアは繰り返してしまった。
 すでに掲載しているところもあるが、新聞各紙は報道の「検証」紙面を準備するだろう。でもそれはこれまでと同じように、「こういう態勢で取材し、こういうトラブルがあり、記者クラブでは『節度ある報道』を申し合わせたが、それでも週刊誌やワイドショーは……」との流れになるはずだ。つまり、アリバイとしての「自戒」。同様の事件が起これば、まったく同じような現象が繰り返される。

 一方で、警察そしてメディアが「マーク」した、容疑者と近い人物が犯人、というケースがあるのも事実。そして他社の動きを見れば、自分だけが退くという決断はとてもできないのも事実。
 難しい。僕は答えが出せない。悩むけれど、分からない。でも考え続ける。
 ただ、秋田の児童殺害事件の際に被告(現在)からカメラに向けられた怒りや敵意を、社会全体に対する挑戦や憎悪へメディアが変換したような行為には荷担したくない、とは考えている。裁判員制度スタートを控え、なおさら思いが強くなる。

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