「それでもアナタはやっている」
痴漢えん罪事件が題材の映画「それでもボクはやっていない」が全国公開されている。公開前の試写会で、主人公の被告が有罪か無罪かを観客に問う投票があった。約2万1千人のうち、無罪としたのは約94%だったという。
公開直前のデイリースポーツによると、映画を制作した周防正行監督が「この数字を見ると2009年から始まる裁判員制度の方が今の職業裁判官よりは安心できますよ」と語っている。
映画制作のきっかけは、実際にあった数々の裁判の進め方に不信感を持ったためで、取材もかなり重ねている。おそらくは、裁判員制度も踏まえての作品に仕上げたのだろう。
でも、監督がこのような強い意向を持った上で「えん罪」をテーマにすれば、94%という数字が出るのは当然だろう。プロモーション映像を見る限りでも、日本の捜査と裁判のあり方はおかしい、と前提にしていることが分かる。「無実の罪」を着せられた被告に寄り添う姿勢が明らかである以上、有罪と判断する観客が例外になるのは必然といえる。
裁判員制度に肯定的なベテラン弁護士の話を聞いたことがある。その人は制度の意義について「市民感覚の反映で、えん罪をなくすことが期待できる」と話していた。
でもこの映画は、原告と被告が事実を積み重ねる作業である裁判そのものより、被告を主人公とした「物語」を重視している。裁判員制度を導入した後の司法の場では、こういう「物語」が重視される可能性があるが、それこそ、えん罪を含めた誤審の原因になりかねない。
そんな中、裁判員制度開始に併せ、重大事件の審理で犯罪被害者などが被告に直接質問できるようになることが、決まった。
捜査と司法のあり方を改める必要があると考えるが、直すべきは、密室での見込み捜査や過度の前例踏襲のはず。けれどもこれらの点が改善されないまま、審理の簡略化・スピード化・明確化に偏った「司法改革」が進む。事実を追究せず、検察と弁護側が心に訴えかける良質なシナリオと正義を競う「劇場」は、法廷の姿としてはふさわしくなく、危ないと思う。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (1)




